戦後日本のジャズピアニスト

一番最初に取り上げようと考えた方は
秋吉敏子です。
満州から日本へ移りオスカーピーターソンと出会いそしてアメリカへ行き、パドパウエルの前で演奏しバークリー音楽大学がスポンサーでジャズの仕事をこなし自分の音楽がアメリカで受け入れられ、ここを拠点にして活動したジャズミュージシャンです。日本国内はまだ海外ジャズミュージシャンのレコードからコピーして学んでいたころです。
The jazz collection というかアルバムにはパドパウエルのような速い技巧的な演奏から日本の箱根の薄明かりや木更津の民謡をジャズで表現した曲などもあります。
hakone twilight  箱根トワイライト
kisarazu zinku    木更津甚句
shadrach  パドパウエル風